2011年5月15日日曜日

仙台便り その1 a Letter from Sendai No.1

[English comes after Japanese.]

皆様、

お元気でお過ごしですか。
京都と仙台を行き来しています。

京都では2つとも楽しいライブをさせていただきました。

そして、日本に来た65名の外国の御客様と
楽しいひとときも数日過ごしました。

この期に及んで
日本にいらっしゃる方々に感謝いたします。。。


東北にいると、様々な方から、
驚くような話を沢山お聞きします。

津波が来て慌てて岡の上に避難したら、
孫がいる家がながれるのを
そのまま眺めるしかなかった方。

部署の担当が代わってから、もと自分の部署
だった仕事で新しい人が海の方面に出向き、
そのまま帰らぬ人となったこと。


山元町の避難所で、かわいいおばあちゃまが
私たちに詩をみせてくれました。

沢山の愛するもの、愛する人を失い、
涙でいっぱいの気持ちを詠ったものでした。


一方で
たくましく生きている、
今生きている人々の笑顔も見ます。


津波で病院が1.7mの浸水、水浸しに成った中、
勤務医が居なくなってしまった病院
本吉病院。

幾たびに、健気な看護士さんが、
「今度くるときはもっとよくなっています。。」
とおっしゃる。


そして、思う事は『何ができるだろう、
わたしは何ができるだろう。」と思いながら。

日々がんばって生きている人々の生活が
よくなっていくことを祈るだけ。


今の私たちの涙は 哀しみと人間の素晴らしさへの喜び
両方 混ざった 涙。

amor e paz,
まりあ
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自衛隊がお風呂を作ってくれています。
Self Defense Force prepared a Public Bath House for evacuees.
Thank you!




このような景色がずっとずっと続くのです。。
南三陸付近
this kind of scenery keeps going on and on and on...
near Minami Sanriku



再び、伊藤珈琲さんのライブにて。
あんぱんまん顔です。(笑
at Ito Coffee's relief charity concert



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Hello everyone! how are you?

I decided to send you in English as well to give information what is going on in Japan.

After finishing my 2 charity concerts and my tour, I came back to Sendai.

I am now going back and forth between Kyoto and Sendai by working and volunteering.

When I work as a volunteer, I hear so many amazing sad stories from many people everyday.

a person who escaped from Tsunami climbing up a nearby hill found her grandchildren swept away together with their house. She couldn't do anything but only watching

a person who just transfered his position to a new division only found his new successor replacing his position swept away by Tsunami by working on the day near the ocean.

an elderly lady in one evacuation center read a very very sad poem for us. A poem of her sadness &pain --- she lost her loved ones, she lost her family.


On the other hand I also receive a lot of hope and courage by people in disastrous areas.

They are really living every moment by smiling and working hard.

a chief nurse in Motoyoshi Hospital where all doctors had gone.
Motoyoshi Hospital was dipped by 1,7m of Tsunami, and all system was broken because of that.

Now temporary doctors come by turn for supporting

Chief nurse Sasaki san always smiles and says,

"when you come back here next time, we will be much better. "


When I see this kind of situation,

I always ask to myself

"What can I do for them, what can I do for them"..

I only pray for their life better day by day.


Now my tears are mixture of deep grief and joy of loveliness of human.


with love,

Maria
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2011年5月1日日曜日

桃太郎のように

皆様

今日は。

連休に入り、ゆったりと
過ごされていらっしゃるでしょうか。

私は
27日に仙台から京都に戻り、
昨日 29日
災害支援ライブをさせていただきました。


Recovery for Japanの角田さんが撮られた、
美しい石巻の夕焼けです。

現場でみなさん、本当にがんばっています。



昨日のライブ、ベースの中島さんと伊藤珈琲さんで。
皆さん一緒に大声で歌をうたってくださり、感激!


まぬけのわたしは
仙台に行く前に
あわてて
つくったチラシは
日にちを忘れ、
一日前のメール案内には
ミュージシャンを入れ忘れる
相変わらずの
天然ぶりを  
みなさんがカバーしてくださり
沢山の方々にかけつけていただきました。

合計44400円を
日本赤十字に寄付させて
いただきます。



『桃太郎のように』

最初はひとりで
出かけていったつもりだった
ボランティアも

きびだんごを持っていないのに(笑)
沢山の方々に支えられて
沢山の方が応援してくださり、

そして、

また現場で
沢山のすてきな方々に
お会いしました。

まだ見ぬ/お会いできていない
すてきな
方々も
沢山。


仙台で お会いした方々、

石巻で

気仙沼で

釜石で。

山元町で。


毎日毎日 ボランティアの行列に
並んでいる 高校生。


たった週一日のお休みを
ボランティアに使っている
社会人の方。


いてもたっても居られなくて
石巻にかけつけて
そのままずっと働いている方。

世界の被災地を駆け巡っている
お医者さん。

地道な援助で
地元の方の心の支えになっている
メンタルヘルスチーム。

まだまだ、沢山のすてきな人たち。


そして

そうはできなくても
気持ちがいっぱいあり、

現場にいっている人間を
心から応援してくださる
たくさんの
たくさんの
方々。


私は2週目から
通訳ボランティアをし始めました。

被災地支援のNGOのグループは
日本の
この状況に在って
秩序正しく
また
取り乱さない日本人を
本当に
絶賛しています。



私たちは

パンドラの箱を

あけてしまった。


でも

箱の底には

「希望」が

あることを


願って。


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ライブインフォです。

20011年5月8日(日)
花園 SOEN にて。
8時より チップ制

「まりあ と セルジオイケメンデス」

総勢6名、男女ダブルボーカルの
楽しいラテンバンドです。
今回はベース中島明彦さんです!

花園 SOEN

こちらも一部 災害支援に宛てます。
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連休は仕事をして
9日からまた
仙台入りをします。

ボランティアは楽しいですよ。


仙台で歌も始めます。
6月にはジャズプロムナードに出演する
予定です。

こちらも、様々な方のお世話になって
感謝、感謝です!



amor e paz,


まり